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びっくりがっちゃん  エッセイ「落ち穂」#1

がじゅくん.jpg

 あれー。
 お目目パチクリがじゅ丸くん。どしたん?

 なにか気になるものを見つけたようです。このあとしばらく固まっていました。


 『ステラ』を掲載した流れで、こちらの友人たちが「アンタさん、エッセイも執筆してたんでしょ。アタシら、沖縄の新聞取ってないからさぁ。ここで掲載しなさいよ」と。素敵な励ましをいただいた^^;

 今年の1月から半年間、と言っても月に2〜3回ほど新報のコラムにエッセイを執筆してました。このコラムは歴史のあるコラムで、なんと40年ほど続いている「落ち穂」というコラムである。
 なんと!うちの兄も35年前ほど執筆していたとのこと。奇遇だね。しかし、この兄は辛口の批評家であることを、あとになって気づいたのでした。

 昨年の大晦日に2010年上半期の「落ち穂」新執筆陣ということで、多彩な顔ぶれの10人の執筆者のプロフィールなどが紙面で紹介されたのだが。

 新聞紙上で縮こまって恐縮している自分がいたさぁ。
 あたしは自慢じゃないが写真うつりが悪い。だからと言って元がいいというわけではない。昔から写真を撮られるのがチョー苦手だったの。我が家の家訓に魂を吸い取られる故、写真に写ってはならんというのがあると、昨年うちに取材にきた記者さんにも申し出たのに却下されてしまった。うちの職場のリクエストのプロフ写真には可愛いワンちゃんのシールを貼ったらチョー受けた。
 まあ、私は私だ。


 実は自分のブー部屋でこのエッセイを披露することはまったく考えていなかった。
 あたしというヒトがちっとはわかってもらえるいい機会かもしれない、と思いきょうからここで掲載することにいたしました。よかったら読んでいってくださいまし。

 ここのところ冷房病か、すこぶる体調が悪い。
 夕べもパラグアイ戦をよそに夕方から寝込んでしまった。月末の地獄も始まっている。なにより1日のお楽しみのために体調をなんとか戻さなければ、と夜中に目覚めて生姜入りハーブティーを飲んでいるPEARです。

 ではでは、1月4日の「落ち穂」から


               「夢の尻尾」


 新しい年が明けた。

 たくさんの人々が想いを新たにし、希望の一年に船出するこの月から半年間、この横浜から徒然に季節の移り変わりなどお届けしたいと思う。


 我が家から西の方向に雪化粧を施した富士山が遠くに臨める。
 一富士二鷹三なすび。縁起のいい初夢の筆頭にも例えられる富士だが、みなさんはどのような初夢をご覧になっただろうか。

 新年の幕開け、ちょいとめでたい廻文をご紹介したい。廻文は上下どちらから読んでも同じ文。昔より良き夢はつなぐといい、悪しき夢は流すといったという。


 『長き夜の 遠のねふりの みな目覚め 浪乗船の 音の良きかな』

(なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな)

 希望の船出になかなかふさわしい廻(快)文である。


 現代では、初夢枕の下に敷いてやすむ宝船の絵の代わりに、宝くじなど敷いて夢を見る方もおられるかもしれない。ただし、富士山のようにでっかい山を当てる初夢を見るために昨年のうちに・・・ということになるだろうか。


 どんな夢であろうと、その手に夢の尻尾を握り締めている人は、その先に希望を見出すことができる。そして、その尻尾の先を手放さない限り希望は可能性を広げるものだと思う。

 一月は今年の抱負を心に抱き、目標に向かって助走する月。いやいや、助走は昨年のうちにすでに始まっているのかもしれない。


 昨年この「落ち穂」に縁をつなげてくれた児童文学賞受賞作『ステラ』は、この季節に縁深い「はこべら」をひとつのアイテムとしている。

 小さな白い花をつける春の七草のひとつであるが、この小さな草に縁のありそうな廻文をもうひとつご紹介したい。


 『やがて満つ 花見さい咲くななの野の 七草いさみなはつみてかや』

(やかてみつ はなみさいさく ななののの 
ななくさいさみなはつみてかや)

 七草の先に春を予感させ明るい色に満ちている。


 さてさて、うっかり者の私だが、今年も夢かうつつかわからぬままに助走ばかりということのないよう、ステップアップの年としたい。


 半年間どうぞよろしく。

 







| エッセイ 「落ち穂」 | 02:58 | comments(8) | - | |
にゃ〜んかさ〜  エッセイ「落ち穂」#2

がっちゃんと波音.jpg

 がっちゃんもかったるいんかな〜?え?眠いだけ?あ、そ。
 
 梅雨時、じと〜っと蒸し暑くて、職場はクーラーが効き過ぎてるときと、温いときと両極端。
 ”第2思春期”を迎える同僚ら、暑い暑いを連発し、首に保冷剤巻きつけてる人もいる。

 そんな中、私はブルブル真逆の格好。
 長そでにストールを羽織り、首には寒さ対策のタオルを巻く。トミタさんに「真冬でもそんな厚いソックス履かない」といわれるモコモコの靴下を履き、それでも足りなくてレッグウォーマーも登場しそうな勢いだってば。

 寒暖の差に弱い私。とうとうやられた。寒さで冷えて風邪をひいた。
 もとい!クーラーの冷気で風邪をひきましたばい!

 一昨日は帰り、調子わる〜となりながらトボトボ。八景駅で吐き気がきてまいった、まいった。自分をだましだまし、電車とバスを乗り継いでどーやって帰ったんだか。うう・・・、頑張った、わたし。えらい・・TT


 そんな状態は忘れて、さて「落ち穂」1月19日の記事から。


            『風の色は月桃の香り』

 一月の朝。空気は冷たく、風の強い今朝などは、ガラス越しに冬木立が揺れている様子で外の寒さがわかろうというもの。
 
 こんな休日は映画でも観ながらストーブのそばでがじゅ丸とぬくぬく過ごすのが一番、とほくそ笑む。


 そこへ「メーデー!メーデー!駅まで出動!」
 遅刻遅刻、と大慌ての娘から出動依頼がきた。
 「当方、寒さ御免。戦力外でござる」朝飯燃料補給前にて「朝飯前」とはいかぬわい。抱腹前進で行け、と抵抗するもかなわず。


 早朝、刺すような空気の中コートを着込み、車のキーを回した。
 「一回、百円」地獄の沙汰も金次第。
 すると敵もさるもの、「J・デップの生写真にて前払済」と切り返された。暮れに、六本木で偶然映画のプロモ来日中のハリウッドスターに遭遇した幸運な鬼軍曹の戦利品。

 ここぞというときの切り札と知らず、有難く頂戴した私。
 しまった!司令官としては甘かったか。寒さも笑いで吹き飛んだ。


 駅前で娘を降ろして、猫の待つ家へゆっくり車を走らせる。
 雲は垂れこめているけれど、空は明るい。冬の風が木の葉を蹴散らして寒さの風情を見せる。


 水辺に遊ぶ鳥の群れのようにアスファルトの縁石に集められ、右へ左へ落ち葉が揺れる。
 秋にウォーキングで回った公園の木立が風でざわざわと騒ぎ、外周を彩っていた金木犀のオレンジ色の鮮やかな色彩もすでに葉を落とした冬の装いに姿を変えた。


 日差しが恋しい冬の空と風。
 一月の寒さは淡雪色である。徐々に白んでくる明け方の空に浮かぶ月の色に似ている。

 
 幼い頃は月桃の匂いに包まれると、子供の楽しみと相まって真冬を実感したものだった。今頃故郷はムーチービーサの真っただ中だろうか。

 季節を感じる匂いや音や感触が人の心を震わせることがある。
 山茶花の咲く駐車場の生け垣を通り抜ける時、ほんの一瞬冷たい空気の中にサンニン(月桃)の香りを感じた。


 早朝の出動攻防から戻り、車のキーを戻すべくパソコン横の引き出しを開ける。


 闇の中に憂いを帯びたハリウッドスターの横顔が浮かびあがった。






 
 




| エッセイ 「落ち穂」 | 00:01 | comments(10) | - | |
人生最高の・・・  エッセイ「落ち穂」#3



 がっちゃん、おかーしゃんみたいだな。

 ちょっときょうさ〜、朝一で病院にいってきたわけよ。
 なんでかってぇとさ〜、夕方から一大イベントの予定が入ってて、ここのところの冷房病がややもすると暗い影を落としそうな気配だったので。行ったわけさ、病院。

 したらなんとなんと!計った血圧!人生さいこー!に高かった。

 「今日はおとなしくしてなさい。」
 「ドクター!せんせー!今夜どーしてもお出かけしたいんです〜!なんとかしてぐでーーー!」
 「ふむ、しょうがないですね。じゃ、これとこれとあれとそれもね。」薬のオンパレード。

 いいのだよ。
 私がこんなことしてまで出かけたかったわけは後日ここでお披露目するとして。

 やはりぐるぐる目が回ってる心持なので。コピペでおやすみ。明日は地獄の3丁目。あーーーあ。

 さてさて、琉球新報 2月1日掲載分 「落ち穂」のエッセイから。



              『天女ノキモチ』    なぐも ゆき

 
 毎日忙しく日々を過ごしていると、つい見過ごしてしまいがちなことがある。


 普段の業務でひたすら数字を追っている。

 頭の中でおびただしい数の数字が泳ぎ、人の動きが手元のシステムに次々入力されていくある日の夕方、目を上げると窓の外の景色が一面ピンク色に染まっていた。ふっと肩の力が抜けた。

 
 だれがどう逆立ちしたって、この美しい夕焼けの色にはかなうまい。当たり前のように自然の美しさに包まれていることに気づく。


 昼間の青い空が徐々に傾き、夕焼けの温かい色に染められ一日の終わりに近づいていく。なんとなく、楽に呼吸ができるようになった気がした。


 先月、静岡の三保の松原を訪れた。

 羽衣伝説で有名なかの地に立って、松原の向こうを眺めると、駿河湾越しにまだ冠雪の残る富士山がはっきり見えた。天女も舞い降りてくるロケーションというものだ。


 松原の向こうの富士山は相変わらず神々しい姿を見せ、国内外から日本を代表するマウントフジと認識されているが、世界遺産登録に足踏みをしている。厳しい諸条件の中に環境問題があることは知られるようになって久しい。


 不法投棄等に悩む山を前にそんなことを想うとき、富士山のみならずこの星を取り巻く環境の中で、同居人である私たち人類がなにをしてきたのか、してこなかったのか、しなくてはならないのか、という事に思い至るのである。


 羽衣伝説は三保の松原の他にも伝えられている地方がいくつかあるようだが、うかつにも宜野湾市の羽衣伝説のことは知らなかった。


 天女が舞い降りてくる地ならば、きっと風光明媚なところにちがいない。機会があれば訪れてみたいと思う。


 疲れた頭をほぐし、人の心を癒してくれる、普段何気なく受けている自然の恩恵。同居人としてはご恩返しをしなくてはなるまい。


 
 もうすぐ立春。
 
 鬼は外!と邪気は跳ね返しても、どこかのCMよろしく「コノ星クサイヨ!」と天女にそっぽをむかれるようでは、あまりに情けない。


 

 蛇足ながら、 なぐも ゆき とは私のペンネームである。念のため。
 おやしゅみっ!





| エッセイ 「落ち穂」 | 00:46 | comments(12) | - | |
わ!こんなもうこんな時間!    エッセイ「落ち穂」 #4



 みなさま、おはようございます。

 まだ頭ぼーっとしているPEARでございます。これから地獄の2丁目へ出勤でございます。4日あとにまともな記事を書きたいと思います。

 これはお花の芳しさにうっとりとしているがじゅ丸でございます。
 いえ・・・・、本当は水道から流れる水をじーーーーっと見ているだけでございます。思わず洗い物の手を止めてパチリ。やったね、がっちゃん。うまく撮れたよ。


 今朝も梅雨にふさわしい、今にも泣き出しそうな曇り空。気分を変えて、新報2月15日掲載の「落ち穂」から。


             『春への切符


 真冬の暦がめくれて、本格的に厳しい寒さの二月。この時期、毎年インフルエンザのニュースが巷を賑わす。

四季を愛でる国だが、やはり真冬の寒さはこたえるなぁ。

 
 二月明けてすぐ、神奈川県では公立高校前期試験の合格発表があった。
 今週半ばには後期試験、月末に合格発表。前期後期、どちらの受験生にとっても悲喜こもごも。いろいろな想いが生まれているのだろう。

 
 この時期にまつわるとても貴重な写真が手元にある。


 一枚は懐かしいレトロな白黒写真で、格子窓にずらずらーっと張り出された受験番号と名前。
 同期の友人が大事にしてきた写真の再現像で、彼女を中心に懐かしい名前の数々。その中に遠近法で、ぐっと手前に自分の受験番号と名前が確認できる。


 実に数十年前の合格発表風景の写真である。

 前後左右に懐かしい友の名前が晴れやかに並ぶ。はるか時の向こうの十五歳の私たちが、シャッター音とともに写し撮られ、時のはざまで明るい声とともによみがえる。


 もう一枚は、全国紙の神奈川版に載った合格発表風景。
 
 受験生で賑わう校庭で、二人の男子生徒が手渡された通知書で合格を確認し、歓喜溢れる写真で、七年前の三月四日付朝刊。

 通知書に視線を落として少しはにかんだような笑みで、嬉しそうに喜びを表す息子の顔が紙面にあった。


 教育も多様化した様がある現代だが、自分の意志で扉を開けるチャレンジは、やはり十五歳の春。
 合格発表風景も今昔物語のようで様変わりはしたが、その場面で一喜一憂するのはどの時代だって同じ十五歳だろう。


 春への切符はどんな十五歳の手の中にもある。未来への改札をくぐる方法だってたくさんあるのだ。


 その手に切符を握り締め、自分らしく出発しようとする君たちへ。
 
 昔むかし十五歳だったおばさんは思うのだ。


 人生の選択の扉はとてつもなくたくさんあって、瞬間瞬間にもなにかを選びとらなくてはならない。

 迷った時にはゆっくりでもいいんだよ。テクテク徒歩旅でもいいんだよ。

 「自分を信じてがんばれ!」

 









| エッセイ 「落ち穂」 | 07:20 | comments(6) | - | |
夢路の入口で エッセイ「落ち穂」 #5



 写真は「またたびコロコロ」で遊ぶがじゅ丸。

 このおもちゃ、うっかりはちべー2号のおにいしゃんがライトコートの小窓を開けた時うっかり外に落としてしまい、今はもうない。

 いや〜、またしても夜中になってしもうた。

 最近早く休むのはいいんだけど、こんな時間に目覚めてしまい、結果、よく寝た〜といえるのかどうなんだろうか・・・・。
 だいたい睡眠のサイクルを考えると、自分の場合、最低でも3時間あればいいような気がする。理想的な眠りは4時間半かなぁ。逆算するとそろそろ夢の旅路につかなくてはならない。

 待てよ。ということはいままでの3時間ほどはどうなるの?料理でいうと前菜みたいなもの?
 ということはもしかしたら私ったら毎日チョーぜいたくな眠りを味わってるってこと?

 そっか。ちょっとうれしい発見かもしれない。ウキウキ気分でフルコースの続きをお休みしようっと。
 で、デザートは毎日社員食道で味わうプチ睡眠てことね。
 そんなふうに考えると、睡眠だって自分んの味方につけることができるじゃない?うふうふ、単純な私はすっかり自己暗示にかかってすーっと眠れる気がしてきた。
 

 さーて、週明け、きっとみなさんもガンバ!な1週間がスタートするんですね。素敵な1週間になりますように。

 では、おしゃべりはこれくらいにして。

 琉球新報「落ち穂」3月1日掲載された拙い文章ではありますが・・・。お届け〜。


           『横浜金沢そぞろ歩き』  なぐも ゆき

 日々勤務する自分の席に座り窓の外を見やれば、それほど遠くもなくこんもりと緑をたたえる野島が見える。


 江戸時代の浮世絵師、歌川広重による「金沢八景」に描かれる八枚ひと組の浮世絵のひとつ、「野島夕照」に描かれている島である。


 内陸に入り組むのどかな海から野島の向こうに江戸前の海を臨む構図で、島の手前には網を打つ小さな漁船や屋形船が浮かぶさまが描かれている。
 
 現在でも野島から平潟湾に架かる橋に夕照橋という名前が残されており、このあたりから出る夏の屋形船や釣り船などは時代は違えても金沢区民にはなじみ深い風景である。


 野島を抜けて柴漁港のほど近くには、テーマパークや水族館を併せ持つ八景島シーパラダイス。今も昔も海岸線の景色に親しい地域といえる。


 先日、黒船来航から開国への歴史を描いたドラマを見た。


 長い間の鎖国を解くきっかけになった日米和親条約が横浜村、現在の横浜市中区で締結調印されたことは歴史の授業でも教わるが、この条約を締結する地を決定するのに黒船艦隊七隻が金沢の柴村沖に十数日あまり碇泊し、ペリー艦隊船上で協議が行われたことは意外に知られていない。


 交渉にあたったのは浦賀奉行所の役人たちだったようで、
金沢が横浜と横須賀の間に位置することからもうなずける。

 現在の16号線沿道が横須賀方面に南下するにつれて、いにしえの宿場町の面影を残しており、このあたりの旧道を早馬や早駕籠で役人たちが血相を変えて金沢に集結したことが想像できて面白い。


 さて黒船。
 見たこともない異様なその姿を近くで見物しようと、柴村沖に老若男女が小舟で繰り出し、黒船と海上で交歓が持たれた様子も乗組員の日記に残っているという。

 もしかしたら柴の漁師の家に、黒船から投げられた菓子類の包み紙などが代々家宝として残っているかもしれない。


 この地に居を構えて二十年近く。
 あちらこちらで我が町を知るにつれ、日本史の中でも大きく動いた時代の陰で、自由におおらかに息づく金沢の民の姿を感じてうれしくなってしまうのだ。

 







| エッセイ 「落ち穂」 | 01:18 | comments(8) | - | |
でっかいなぁ〜 エッセイ「落ち穂」 #6



 蒸し暑い〜。
 五月雨睡眠のおかげで早や〜くから起きてしまったさぁ。

 といいつつ、朝の仕事を済ませてシャワーしてもう出かける時間になってしまった。

 きょうは月末締めの締切。さぁて、地獄も1丁目まできたぞ。がんばろっと。

 しかしっ、昨日からマスコミで大々的に我が社のことが撮りあげられてる。クレームもわかるけれど、末端の現場やコールセンターはただひたすら頑張ってるんだけどな。事務方の我らも、けっこう大変です。

 よしっ!きょうもがんばろ!

 新報3月13日掲載「落ち穂」エッセイより


            『イエローカード



 最近風邪をひいた。

 
 昔から体調がダウン気味だと、てきめんに現れる症状がある。「寝汗」である。

若い頃からこの症状でバイオリズムが計れたりするので、まさに健康状態のバロメータ。寝汗の状態で体がイエローカードか、レッドカードの状態かまで判断できる。

 
 個人によってそれぞれ体の不調を訴えるサインがあるのだろうが、私の場合、不調の予告編のような役割が寝汗。


 ちょっと食事に気を使うとか、早めに休むとかでよくなっていく寝汗はしっとり汗ばむ程度だが、体育会系部活のように流れる場合はもういけない。
 
 夜中に着替えのシャツがなくなるほど寝汗をかくことがあるが、翌日は必ずといっていいほど病院行きで、それから一日、二日寝込むパターンである。


 風邪気味のときなど生姜湯や葛湯を飲んだりするが、体が温まって汗をかく、という性質のものではないように思う。体の内側で不調のマグマがグツグツ暴れる前兆のせいだ、と勝手に解釈している。


 さて、このイエローカード。具合が悪い人には程度の差こそあれ、誰にも現れる症状だと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。なるほどそういえば、家族で寝汗の友は私だけだ。


 いずれにしても、健康状態を計るサインの寝汗。
 あまりダラダラと年がら年じゅうお付き合いしたくはないが、人生を上手に折り返していくために、ま、どうかひとつよろしくね、というところかな。


 少し前に不調の中で表した拙い詩がある。体調を崩した砂漠を行く旅人のような気分だった。

           

           「洗濯機までの距離」 
 

 夜中に目覚めて 黄色いTシャツを脱ぐ

 
 手を伸ばして 
代わりの白を選びとる
 
 身にまとう前にタオルで汗をぬぐい
 
 静寂の中でひとり身支度をして 脱いだシャツを洗濯機まで運ぶ
 
 たったこれだけのことが なにかを私に教える
 
 自分の体がひとつしかないということ
 

 そこに収まる心もひとつだということ
 
 
 
でも心は無限だということ 
なにかをめざしているということ
 
 生きているということ

 
 洗濯機までの距離はまるでシルクロードの旅

 

 


 





| エッセイ 「落ち穂」 | 07:39 | comments(8) | - | |
我が家のまわりお散歩中☆ エッセイ「落ち穂」 #7

 前回の記事にアップした写真は、私の住むマンションの敷地内のフェニックスです。
きょうはちょっとこのあたりを写メでご紹介。山の上で、風が通るので結構涼しいです。冬はチョー寒い。
 
 我が家の隣のエントランス前の階段。
 この階段、「アルト」という車のCMに使われたことがあります。今はもう少し紫陽花の花が咲き乱れています。



 芝嵐さんが宮崎のようだと言った、ノッポさんがたくさん植えられていて、なんとなく開放感のある敷地です。緑の向こう側はもうお隣の市です。

 右写真の、この棟の真ん中は大きくアーチ型にくり抜かれていて(6階分)緩やかな坂を行くと3番目の棟に行き着くデザインになっています。
 アーチ型のトンネルの途中に管理室や共有のイベント棟、カードキー式宅配BOXスペースなどがあります。



 駐車場横の生け垣は山茶花。寒い季節にはたくさん赤い花をつけます。ときどきいただいてきて玄関先に飾ることも・・・^^;
 敷地内にはいろんな花や大きな木々、そこらじゅうに草が植わっていて、都会から車で帰ってくると我が家が近づくにつれ草の匂いがして、ああ、帰ってきたなぁという実感を味わいます。



 風が吹くと小さな森のように、ヒューヒューシャワシャワザワザワと音をたてます。毎年5月になるとこいのぼりが立つポールよりもはるかに背が高いです。

 こんなふうに植栽や花壇が管理されている中に、いくつかの公園やスポーツ広場があり、棟と棟の間には夏になると、わずか5センチほどの深さの溝に水が流れて、子供たちのオアシスになります。



 金魚公園横の花壇。後ろの方に藤棚があって、真下に木製のベンチとテーブルが設えてあります。春先は藤棚が美しい。



 金魚池。たくさんの金魚たちが仲良く元気に住んでいます。なぜかラッコが金魚と戯れてる。この回りも植栽になっていて、今はアガパンサスがきれいに咲いています。

 マンションの有志によっていたるところに草花が季節ごとにとてもきれいに管理されていて、四季折々、住民の目を楽しませてくれます。感謝です。

 横浜のはずれの田舎ですが、なかなかいいところだと思っています。住めば都ってやつさっ!


 さてと。
 きょうは琉球新報に連載していた「落ち穂」3月26日の掲載分から。文中の”後輩”とはkomaちゃんのことで〜す。


             『東西ドライビング考』  なぐも ゆき

 
 
 春の気配を感じるようになってきた今日この頃。だんだん暖かくなってくると外へ出かけたくなる。


 ここ横浜金沢からは湘南の海岸線が近く、時々海沿いを鎌倉まで出かけることがある。
 逗子海岸から由比ヶ浜へ抜ける道は、けっこういろいろな映像にもなっている。


 海の色は故郷のそれには比ぶるべくもないが、車窓から見る景色は開放感いっぱいで爽快な気分にさせる。たまにはドライブもいいね。

 
 先ごろ、高校の後輩でもあり私より年若いブログ仲間から、高齢者の免許更新に関して興味深い情報を得た。

 
 七十歳を過ぎると、通常の更新に必要な検査などに加えて、記憶力の検査があるのだとか。詳細は不明だが、絵を見せられて一定時間の後にその記憶を確認する、というようなものであるらしい。

 
 へ〜、そうなんだ。と感心した私は、車社会のアメリカなどではどうなんだろうと思い在米の姉に尋ねてみた。


 通常、運転履歴になんら問題ない場合は自動的に更新送付されてくるそうで、わざわざ更新手続きに出向くこともないらしい。費用も安くよいシステムだな。

 ただし、ある程度の高齢になると、ペーパーテストが行われるという。
 広大な国土の車社会だけに、年齢が上がっても免許更新人口だって多いにちがいない。


 昨年、大学の恩師も愛車を手放し、運転人生に終止符を打たれたそうである。
 返上か否か個人の自覚によるのは東西同様というわけだ。ふと、映画「ドライビングミスデイジー」を思い出した。


 日本ではシルバーマークのステッカーが普及し街中でも時々見かけるが、姉の住む地域では高齢者から反対の声が上がり、見かけることはないそうな。

 
 さて、前述の記憶力検査だが・・。妄想族の血が騒ぐ。


「先ほどの絵はなんでしたか?」

「食べてなくなってしまったのでわかりません。」

「では、再検査です。」

「出来れば今度はソーキと紅ショウガとネギも多めにお願いします。」

「・・・・合格です。」

 なんてことにならないかなぁ。

 記憶力、運転技術ついでに妄想力、アンチエイジング中!







| エッセイ 「落ち穂」 | 00:01 | comments(16) | - | |
雨の中の幸せ エッセイ「落ち穂」 #8


Photo by Pちゃん

 梅雨空、ふっとくちなしの匂いが今朝の空気の中に漂っているのを感じた。

 心にあの白い清楚な匂いがすーっと入ってきて、染み込んだ。幸せを運ぶ6月の花。雨の季節に人を和ませる、そんな小さなことに気づけたことがうれしい。

 晩御飯の支度中、1品付け加えたくなった。なかなかパソコンが開かない。あわててkokeさまにメール。メニューが増えた。心強い味方〜!kokeさまありがとう!

 いつのまにかブログを通じて、大切な繋がりが生き生きと自分の今を明るく楽しいものにしてくれている。繋がるご縁に感謝です。


 きょうも、琉球新報4月10日掲載の「落ち穂」よりエッセイひとつ。



             『鎌倉から金沢まで』   なぐも ゆき 

 
 三月中旬、雪混じりの強風で鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊した。

 
 八幡宮へ参拝する階段の脇に立つ大木で、歴史上有名な銀杏の木である。ニュースから、樹齢千年の大木が無残に倒れた姿を見て胸が痛んだ。


 初めて鎌倉を訪れた十代の終わりの頃、案内してくれた人から「隠れ銀杏」と命名された逸話をこの木のたもとで聞いたことをよく覚えている。


 鎌倉幕府最後の将軍である源実朝の暗殺を決意した公暁が、この木の陰に隠れていたと言う伝説。
 八幡様の階段を上りながら、銀杏の影に潜んで機会をうかがう公暁の姿や、歴史の息づかいが聞こえてきそうな気がしたものだった。


 その当時は、この歴史ある鎌倉とほど近く、ゆかりある金沢の地で生活するようになるとは思いもしなかった。


 武家文化全盛期の鎌倉時代から私の住む横浜金沢は前に良好な湊を抱え、後に緑多き自然に恵まれた、鎌倉の郊外文教都市として発展した。


 源氏一族とも縁のある金沢北条氏の北条実時の時代に、現在の金沢文庫に複合都市を拓いたとされている。


 ちなみに駅名にもなっている金沢文庫とは実時が建立した、いわゆる私設図書館で、保管する書物を執務を執る鎌倉の館と居を構える金沢郷に分けたためといわれている。現在は県立博物館として、金沢北条氏の菩提寺でもある称名寺境内の一角に建っている。
 美しい浄土式庭園を持つ称名寺のことはまたの機会に触れたいと思う。


 倒壊した大銀杏のニュースから中世鎌倉時代あたりを旅してきて、新たな発見がまたひとつ。
 「金沢は吉田兼好にも縁のある地なんだよ」思いがけず息子からの情報である。

 兼好は北条実時の孫の貞顕と親交があり、金沢区六浦にある上行寺に庵を置き、「徒然草」にも金沢の文字が出てくる段があるという。


 もしかしたら兼好も上行寺から朝比奈の切り通しを通って、鎌倉まで歩いたのかもしれない。家から近いこのあたりの景色を、兼好も眺めたのかと思うとわくわくする。


 徒然なるまま、そぞろ歩きにハマっている今日この頃である。

 

 



 




| エッセイ 「落ち穂」 | 01:20 | comments(12) | - | |
「落ち穂」4月23日掲載分より エッセイ「落ち穂」 #9




              『青からの招待状』

 
 春の到来を告げ、明るい季節を待ちわびた人々を楽しませてくれた桜が散った。


 本当に寒かった今年の春。
 やっと日差しが戻ったある日、どこからかほんのり淡い桜色の花びらが、ひらりと風に乗ってベランダに届いた。        


 ひいふうみい、3枚の花びら。みどり色の季節にバトンタッチした春の名残り。


 昼間、満開の桜の下を歩くとき、光が花や枝を透かして、歩道や土の上に咲かせる花の影が好きだ。
 
 人々がこぞって咲き誇った満開の花にカメラを向ける中、ひとり這いつくばって足元に咲いた桜の影を追う。花の姿が美しければ美しいほど地面に咲く春も際立つ。


 ベランダに届いた今年の去りゆく春を指先で拾い集め、名残り惜しさと共にページの間にはさんで手帳を閉じた。


 夏の入口を迎え、うりずんの季節の我が故郷に友が旅するという。
 
 家族で年に何回も南の島を訪れる彼女に、
 
「沖縄のどこが好きなの?」と尋ねてみた。


 少しだけ考えて友は言った。


 「あの海の色。」


 青が序々に色を変えていくあのコバルトブルーの海に魅了された、とにっこり笑って友は言った。


 東北で生まれ育った彼女は、カレンダーや写真で見る南の島の海の色を、長いこと合成だと思っていたという。


 「初めて飛行機の窓から見たあの色が忘れられない。この島に住む人たちは、いつでもあの素晴らしい海の色を間近に見ることができる。なんて幸せなことでしょう。」


 そうか。そこにあの青があることが当たり前だった日々。

 離れてみると、心の底から郷愁を呼び起こすのもいつもあの青だ。沖縄を訪れる人々の心にも染みていく色。


 彼女は言った。


 「どうか、いつまでも変りませんように。」


 ちゅら海、わした海のこと。深刻な、サンゴを蝕む環境問題のことなど考えていかねばならないこともあるだろう。


 美しく広がるサンゴ礁は、まるで海の中に咲いた満開の桜の林である。

 そこに生息する魚たちだって、花見の季節は永遠に続くほうがいいに決まっている。

 





| エッセイ 「落ち穂」 | 23:18 | comments(12) | - | |
外は雨 エッセイ「落ち穂」 #10



 こんな夜は雨音に耳を澄ましながら楽しいことを考えましょう

 ひとは長〜い一生でどれだけの忘れられない思い出を持つでしょう
 長〜いなんて嘘かもしれないな ひとの一生なんてあっという間なんだと、実は想う
 だから一瞬は永遠なんだよなー

 ちょっと真剣にそんなことを考えてみる

 だいたい、記憶というものがいつ頃から自分という容れ物の中にキチンと定着して、自分という人の彩りになっていくのか、想っただけでも遠い記憶の彼方・・・なのかもね

 忘れられない思い出、忘れられない景色、忘れられない音楽、忘れられない匂い

 忘れられない思い出の中に青春時代を彩った場所がある

 そんな大事な場所のひとつ  ロマンの森



 琉球新報「落ち穂」 5月8日 エッセイから



                 『ロマンの森』



 (また遅刻だ。)


  通学バッグを抱えて小走りに校門を入り、三年の教室のある三階への階段をのっそり上がりながら、憂鬱な気分で上階を見上げる。

 
 「こらー!またおまえか!」


 担任のまっちゃんが上がりかけた階段を今にも駆け降りてきそうな様子に、ヤバッ!反射的に踵を返し、階段を2段飛ばしくらいで駆け降りた。


 反対側の階段にまわりながら、校舎に囲まれた中庭に視線を移した。
 だれかが私にささやく。


 (また遅刻?また遅刻?また遅刻?・・・・・)


 (くすくすくすくすくすくす・・・・)


 だれかが笑っている。


 
 緑の木々が揺れて17歳の遅刻魔を優しく包み込む。
 
高3のある朝の思い出だ。


 後のドアからそっと教室に入った私は、まっちゃんにこっぴどく怒られたことは言うまでもない。


 私が通った高校の中庭は四方をぐるりと校舎に囲まれていた。

 どの教室の廊下側からも見下ろすことのできる小さな雑木林のような森になっており、ロマンの森という名前があった。


 四季の少ない沖縄でもその森は春から夏にかけて緑が鮮やかに輝き、雨の季節には木々の葉が雨足のリズムに合わせて音楽を奏でた。秋深くなると、葉っぱが黄色く色づき、かさこそと静かに音を立てて落ち葉した。


 決して広いとは言えない森だったけれど、青春時代の三年間をこの学び舎で過ごした者たちを、平等に包みこむ空間の深さがあったように思う。


 自分探しの旅の中で、思春期のけだるい感覚をカバンに詰め込んで毎日通った高校。ロマンの森はふっと息がつける場所だったように思う。


 おそらく、ロマンの森は卒業生にも在校生にも愛されていた。

 ネーミングによるところも大きかったのだろうが、具象と抽象が同居出来る懐の深さがあった。

 そして、そこに足を踏み入れる者を決して拒まなかった。


 今は跡形もなく消えてしまったロマンの森は、どこかで私たちのことを覚えていてくれるだろうか。


 そしてあなたは、覚えていますか?

 



 






| エッセイ 「落ち穂」 | 23:34 | comments(6) | - | |
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