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『金の草履』  (8)


Photo by Twin Moon


 

ここで一体なにが起こっているのか。壕の奥に、暗闇よりも暗く恐ろしいものがうごめいている。麻子の体がぎゅっと硬くなった。


 男の声は壕の中の人々に沈黙を強く強要した。まもなく暗がりの奥から品定めをするように、青白い顔をした日本兵が避難民の間を縫って入口付近まで出てきた。怯えを隠せない避難民と明らかに違う、もうひとつの民族の顔。

 麻子はこれまで見たこともないような冷たい視線をのっぺりと投げかけられ、背筋に震えを感じた。初めて芯から覚える恐怖に、足の裏に針で刺すようなチクチクとした鋭い痛みが走った。


 その男は麻子の前で立ち止まった。


 「赤ん坊を連れているな。その赤子をここに差し出せ。」


 なにを言っているの、この人は。


 「なにをぐずぐずしている。訳もわからず泣く赤子のせいで、ここが敵に知れてしまう恐れがある。その赤子の口を塞げ。お前が自分で出来ないならば、赤子をここに出せ。この坊主もお前の子か。」


 友軍の兵士であるこの人は、同じ国の味方のはず。同じ側に立つはずのその男の口から放たれた言葉から腐臭がした。麻子は胃のあたりにぐっと吐き気を覚え、壕の中の暗がりにとてつもなく息苦しいものを感じた。


 元は怖がる様子もなく、薄茶色い帽子を被った男をまっすぐ見上げている。麻子の背中で百合子がくすんと小さな声をあげた。泣くな!百合子。


 「この子は泣きません。息子も声の出ない子です。」

「ほう、泣かない赤子に唖(おし)の子か。唖の子供が声をあげて叫んだら、その泣かない赤子も大声で泣くのだろうな。我々はこの地の民のために闘っておる!大声で泣かれる前にその赤子を差し出せと言っておる!」

 
 どうしようもない状況の中で、了を失った麻子は、今子供の命を守るためだけに生きていた。この人は救うべき民のための戦の前に、百合子の命を差し出せというのか。


 この冷たい目をした人が守ろうとしているものがなんなのか、私にはわからない。けれど、百合子の命がそれより小さいものだとは到底思えない。
 この子の握りしめた手の中にあるものは、誰にも計り知れないほどの大きなものなのだから。だれにもそれを握りつぶすことはできないはずだ。


 私はろくでもない母親かもしれない。でも、守れない命なら、最後までこの子たちの前にこの体を投げ出すのが今の私に出来ること。


 麻子の回りの人々の中にも幼い子供を連れた者はいたが、その男は執拗に麻子に迫った。もしかしたら見せしめの警告のつもりなのかもしれない。


 壕の入口付近で麻子の回りに座り込む人々は、このやりとりに緊張した視線を足元に落とし、怯え、息を潜めている。


 夜はとっくに明けており、木々の間からこぼれる日差しが智子と元の表情を映し出す。智子は一文字に唇を結び、子供なりに恐怖と闘う。元は変わらず男を見上げていた。


 「これは上官殿のご命令である。この戦の中に於いて、上官殿のご命令は絶対である!赤子の声が漏れては一大事に繋がる恐れあり!きさま!われらに楯つくか!赤子が泣かぬというなら、すぐさまここに差し出してみせろ!」


 この命令に従って生き長らえて、一生地獄に繋がれて生きていけというのか。腐った匂いが充満して麻子は呼吸が苦しくなった。


 「ご命令とおっしゃるなら、この場所が敵に察知できぬよう、私たちは遠くへ参ります。私に子の口は塞げません!どうか、お許しください!」


 非情な罵声を浴びせる冷たい目をした男の口元に、ほんの一瞬感情が宿ったように見えた。


 「強情な女め。赤子が泣き叫ぶ前にここから出て行け!」


 麻子のいちかばちかの駆け引きが功を奏した。みぞおちの奥で胃の真ん中をぎゅっと握りつぶされるような感覚を覚えながら、内臓全部にふたをするように吐き気をこらえた。
 早くこの場から逃れたい。

 智子と元をうながし麻子が立ち上がった瞬間、反対側で身をちぢ込めて声を押し殺していたテルがなにか言いたげに唇を動かそうとした。麻子はすばやく目でそれを制した。


 この人を巻き込むわけにはいかない。






| 『金の草履』 | 22:49 | comments(8) | - | |
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| - | 22:49 | - | - | |

続き待ちきれません。
| kokeobasan | 2010/08/10 12:19 PM |

時間が空いた時にゆっくり読もうと、今日がチャンスとばかりカテゴリーからザーと。
続きを早く早くの催促です(笑)
麻子の中に入り込んじゃってます。
| olive | 2010/08/10 2:51 PM |

現在と、その時代の感覚の差を改めて感じています。
平和と云う現在を、改めて幸せなんだと云う事を。。。。頭をハンマーで殴られたような気持ちです。
| kazemata | 2010/08/10 8:03 PM |

狂っている・・・・・この状況が人を狂わせているのでしょうか。
強くない人は、狂った状況に簡単にしたがってしまうのでしょうか。
自分の魂はどうだろうか・・・・・

考えさせられました。
正義感というのは、はき違えるのも容易いのですね。
| まつぼっくり | 2010/08/10 9:40 PM |

kokeさま

読んでいただいて、ありがとうございます
まだもう少しお付き合いくださいね〜
| PEAR | 2010/08/10 11:16 PM |

oliveさん

ありがとうございます
読んでいただいてホントにうれしいです
カテゴリーからのほうが読みやすいと思います
まだもう少し続きますので、どうぞお付き合いいただけたらうれしいです
| PEAR | 2010/08/10 11:19 PM |

kazemataさん

こんばんは
いつもありがとうございます

普段のなんでもないことがどんなに有難く幸せなことなのか
麻子たちのようにい草を生き抜いてきた人々から、今の時代はどのように映るのか、逆に時々考えさせられてしましますね
| PEAR | 2010/08/10 11:24 PM |

まつぼっくりさん

戦というものは、物だけでなく、人の心までも壊してしまう狂気です
戦争を知らない世代ですが、時々立ち止まって風化させることないよう、考えたいです
| PEAR | 2010/08/10 11:27 PM |












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