CALENDER
<< April 2020 >>
SunMonTueWedThuFriSat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

SELECTED ENTRIES
ABOUT
CATEGORIES
COMMENTS
TRACKBACKS
LINKS


<< 『金の草履』  (8) | main | 『金の草履』  (10) >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています





| - | | - | - | |
『金の草履』  (9)


Photo by Twin Moon

智子と元を、先ほど下りて来た岩肌に這い上らせた。背中の百合子の後からだれも追ってこないことを確認しながら、麻子もごつごつした岩の間から這い出した。

 きりきり痛む胃のあたりを左手で押さえながら、元の手をしっかり握り、今しがたまで潜んでいた壕が見えなくなる場所までとにかく進んだ。
 
 黒いものが息づく伏魔殿のような洞穴に、今も不安そうに縮こまるテルと愛子を想い胸が痛んだ。

 智子が心細そうな顔をしている。

 この恐ろしい戦争の世で、大人も子供もなく逃げ惑い、日々笑顔を失っていく子供たち。
 自分の内面を押し殺し、感情を外に出さなくなった智子の、あの笑顔を壊したくない。平和な時間はきっと取り戻せる。智子や元がくったくなく笑うときは必ずまたやってくる。そのときに、子供たちの心に一点の曇りもあってはならない。

 麻子は智子の肩を抱き寄せて言った。

 「智ちゃん。さっきのおじさんは怒ったふりをしていたけど、あそこの場所は狭くて人がいっぱいだから、最後に入ってきた人はもっとほかの場所を見つけてくださいって言ってたんだよ。わかる?」

 さっきまでの緊張がほどけて、智子はみるみる泣き顔になった。

 「かあちゃん・・・。かあちゃん・・・・。でも、でも・・。愛子ねえねえとテルおばさんは?なんで一緒に来なかったの?」

 しゃくりあげる智子に麻子は笑って言った。

 「テルおばさんたちには赤ちゃんがいないさぁ。かあちゃんの背中でね、あの狭い場所で百合子が泣き出しそうになってたんだよ。あのおじさんはね、赤ちゃんが窮屈で可哀想だからもっと広いところに行きなさいって、わざと怒ったように言ってたんだよ。もっとやさしく言えばいいのにねぇ。」

 母の言葉に少し安心したのか、大粒の涙と一緒に感情を洗い流した智子の顔が少し明るくなった。

 「智子、大丈夫。夜になったらテルおばさんのことだもん、ともちゃ〜ん、はじめ〜って、智ちゃんたちを探しにくるさぁ。だからどこか隠れるところを探そうね。智ちゃんも元もわかったね。」

 麻子は自分に向かってつぶやいた。(必ずまた会える。)


  

ずいぶん時間がたったように感じたが陽はまだ浅かった。状況とうらはらに柔らかい木漏れ日が林の中を行く親子連れに降り注ぐ。なかなか麻子たち四人が潜り込めるような隠れ場所が見つからない。

 南国の太陽は春の訪れと、初夏の区別をさほど隔てることなく明るく放物線を描く。林を抜けて、なににも遮られることなく太陽の光を浴びたとき、麻子の中でなにかが弾けた。

 

ええい!もうどうにでもなれ!

 

亜熱帯の樹木がうっそうと生い茂る壕のある林から、小高い丘の斜面を下ってしばらくいくと、潮の匂いがした。平坦な明るい道をアダンの間をすり抜けて海に向かった。

 緩やかなカーブを描く海岸線に辿り着き、だれからも、なにものからも隠れることなく四人はゆっくりと歩いた。智子と元が波打ち際で水と戯れる。麻子たちの他にひとっこひとりいない砂浜。こんな自由な時間はいつぶりだろう。


 もし今敵機が頭上に現れたら、間違いなく攻撃されて死ぬだろう。

 この平和な風景が、次の瞬間には命を失う景色に塗り替えられる背中合わせの理不尽さ。この国のために子を殺せと、この国の兵に命じられる理不尽さ。


 今は生きて地獄。テルの言葉がひしひしと重みを持って麻子の上にのしかかった。

 

とうちゃん、ごめん。私、とうとう守れなかった。最後までろくでもない母親だった。

 穏やかに晴れた空を仰いで、夫の顔を思い描いた。涙は出なかった。

 

どのくらい時間がたったのだろう。帯を解き百合子をおろして、四人でモクマオウの林の中に座って海を眺めた。


 白い砂浜。青い透き通った海の色。寄せてまた返す穏やかな波音。耳の奥深くに、この波の音を記憶しておこうと麻子はぼんやりと思った。

 母と子に初夏の風が吹き、モクマオウの針のような葉がさらさらとこぼれた。


 この美しい島で、戦が繰り広げられているとはとても思えない静かな時間。


 「きれいだねぇ。」

 くすくす。だれかがおかしそうに笑った。


 「かあちゃん・・・。元が・・。」


 智子が麻子の袖を引っ張った。


 くすくすくすくす・・。声を出して笑ったのは元だった。


 「元。あんた、声・・・。」


 麻子の言葉が言い終らないうちに、


 「かあちゃんの顔・・・、さーるーみたい。」


 元がおかしそうに声をあげて笑った。

遮るものの何もない、昼間の明るい陽の下で久しぶりにはっきりと見る母の顔。黒く土ですすけて汚れ、まるで野猿のようだ。元の言葉につられて智子も笑った。

 
 「ほんとうだ。かあちゃん、さーるーみたい。」


 兄たちが笑うそばで、小さな百合子が面白そうに目を丸くして、明るい声をあげた。


 自由になった小さな手をしきりに動かし、踊るように笑う。


 「智ちゃんだって、さーるーみたいだよ。」


 「あははは。ねえねえもだ。かあちゃんも。はじめーもだ。」


 元が笑い、智子が弾けたようにつられた。あはは、あははは。

 

「そうだ。かあちゃんはさーるーだ。智子と元と百合子はぐまさーるー(子猿)だ。」

 
 麻子は三人の子供にそう言って、鼻の下を伸ばし、おどけた顔を作って、


「キーキー。ほら、元、さーるーだ。智ちゃん、百合子、さーるーだ。」


 言いながらモクマオウの木の下で踊った。


 ぼろぼろの母猿を真ん中に三匹の子猿たちが踊った。キャッ、キャッ。キーキー。


 そうだ、麻子。きょうから私はさーるーだ。子猿を抱えた母猿だ。猿のように生きていけばいい。どうなってもいいなんて・・・。いいわけない。


 今、明るい静かな浜辺で、元の声が戻った。


 (にいにい、かあちゃんのところに戻ってもいいよ。)

 






| 『金の草履』 | 22:46 | comments(0) | - | |
スポンサーサイト





| - | 22:46 | - | - | |












ARCHIVES
☆ポチっとおねがいします↓さてさて・・?
にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
RECOMMEND
OTHERS
SPONSORED